千日手

千日手を知っていますか?

将棋で何度も同じ手を繰り返し、先手と後手がいたちごっこのようになって、場面が進展しない状態のことを、千日手といいます。

昔読んでいた将棋の本にはこう書いてありました。

千日手になったら、攻めている側が手を変えなければなりません、と。

よくもまぁいまだに覚えていますね。

 

攻める側、何かをしようと働きかける側は、

損をしてしまうのではないか。

わざわざあれやこれやと手を変えて、何かを求めるのはとてもエネルギーを必要とすることではないか。大変なことではないか。

それに対して守る側はどうでしょう。

攻める側に対してただ逃げていれば良いだけ。

特に何もせずとも働きかけられ、それに乗っかって行けばいい。楽チン。

 

そこにどうも差を感じざるを得ないのです。

 

攻める側は損をして、守る側は何もしない。

 

攻める側は

やはり何かをする、行動に移すということは、

めんどうで。疲れてしまう。

 

でも、それでも

めんどうをかける価値がある物を見つけたい。

損得を超えて何かを夢中に、好きになれる事を見つけたいと、誰しもが思うのです。

 

例え、千日手になったとしても、それを乗り越えていく事を苦労とも思わないような、

そんな好きになれることがあったらなぁとおもいます。