一年の計は

元旦にありとはいうが、

では、1日の計は何処にあるのだろうかと考えた時。思い浮かぶのは寝起きだ。

 

その日の寝起きが最悪ならば、その日が最悪になることか、もう、すでに今日実地で証明されている。

 

しかしまぁ人間とは都合の良い生き物で、

良いことや楽しいことがあると、そんなことはすぐに忘れてしまうのだ。

 

結論、その日の計など何処にもない。

はっきりと何処にもないというは、常に何処にでもあるということと同義であるのだ。

 

だからこそ我らは、常に今を楽しく生きるべきなのだと思う。

 

 

 

 

ふと

何かを普及するためだとか

逆に何かを根絶しようと仕事に従事している人にとっての矛盾は。

 

自分が頑張って、仕事を達成すればするほど

自分の未来が暗くなっていくということだ。

 

全て仕事をやり終えた暁には、その人たちは職になしになってしまう。

 

しかしながら、何かを普及もしくは根絶する力を持っているほどの人ならば。

 

また何かを新しいことをやって成功していくに違いない。

 

先のことを考えて、怯んではいけない。

今の瞬間を晴れ晴れと生きるべきなのだ。

 

 

抑止力

何もしないと、やりたいことをやってしまうから。

 

抑止力を利用して、やりたいことを我慢する。

 

環境を変えることで、自分の気持ちを変える。

 

そんなまどろっこしいことをせずとも。

自分の気持ちを自分で変えてしまえばいいのだが。

それが出来ないのが人間なのだ。

 

そういう不器用さが。

矛盾があるところが。

とても人間らしくて好きなのだ。

あまのじゃく

ここを動くなと言われると、動きたくなる。

逆に

なにかしろと言われれば何もしたくなくなるのが人情で。

 

我らにはもともとそのような反発精神が備わっているのだ。

 

押さえつければ、反発する。そのような存在であるからこそ。

 

人は他人と反発し合う。それが自然なのだと思う。我々は反発し合って、然るべきな存在なのだ。

 

ともすれば、反発しない人は、

一見柔軟そうで、優しそうにみえて。

それまさしく人間あらざるようなひとなのかもしれない。

 

わからないことをどうする

わからないことはどうしたらいいのでしょう。

わからないに対して、無理に結論を出すのか。

それとも、保留にして、そのままにしておくのか。

 

どちらにするかは、人の好みでしょうが、せいて無理に出した結論なぞ、ろくなものではない。かもしれません。

 

保留するということにいいイメージはありませんが、時にはそれは必要なことなのでは、と思います。

不条理 理不尽

不条理、理不尽だと思うこと

 

それがはびこるのが世の常でありましょう。

自分がこう思っていても、伝わらない。

こう正しいと思うのに伝わらない。

 

でも、それが当たり前なのでしょう。

自分に正義があれば、相手の正義もあるでしょう。

どちらの正義がただしいのか。結論がすぐでるのなら最初から揉めてません。

 

きっとどちらもただしいからこそ、揉めるのでしょう。

 

おおよそ真実はいつも一つですが。

解釈というのは多種多様です。

 

一つの真実に対して、人それぞれ解釈はことなるのです。

自分はこう解釈した、自分はこう思ったというのはこれまた真実であり。

相手がこう解釈した、相手はこう思ったというのも同様に真実なのでしょう。 

 

全ての真実を認めたいなら、相手の思うことを認めなければいけないのでしょう。

 

難しいことです。でもそうしたいのです。

人としてもう一回り大きくなるために。

 

きっとそれが分かれば不条理だの、理不尽だのいうこともなくなるのだと思います。

 

人間関係と月日

人間関係というのは時間とともに変化していくものである。

 

だが基本的には時間が経つにつれ、精錬されていくものだ。

 

少しずつその人のことがわかってくるので、言わなくても伝わったり、その人が何考えてるのかわかることもある。

 

だが逆にその人がわからなくなるパターンもある。

 

その人に何十もの顔があるときはそうだ。 

そういうタイプの人を知るには時間というのはあまりに短すぎる。

 

その人のことを本当に知りたきゃ、時間と手間をかけて知るほかないのかもしれない。